小樽市・鰊御殿

台風と仲良く北海道旅行…15(10月10日その5)

 祝津パノラマ展望台を下り、高島岬にある鰊御殿に向かいました。
 「鰊御殿とは、かつて北海道の日本海側に作られた網元の居宅兼漁業施設(番屋)である」(Wikipedia)。
画像 小樽市の鰊御殿は、明治30年(1897)、有数の鰊網元・田中福松が西積丹の泊村に建てたものです。その後、昭和33年(1958)、北海道炭礦汽船がこの場所に移築・復元、昭和35年(1960)に小樽市に寄贈されました(北海道有形文化財)。
 一部2階建てで、総面積は185.1坪もあります。赤い屋根の上に乗っているのは、見張り塔ではなく、煙り出しです。左下は、正面玄関の円形屋根と、それとは対照的な直線の庇です。右下は、正面玄関前の斜面で咲いていたクサフジ(マメ科)です。
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 左下は1階右側の大広間ですが、金を惜しまず東北地方から運び入れた長大な材木を使っているため、中央に柱が殆どありません。右下は、煙り出し付近の木組みですが、材木をふんだんに使っているのが分かります。
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 左下、彩色が施された鰊漁船の化粧板が飾られています。右下、身欠き鰊に出来ない小さい鰊を煮て肥料とするための鰊釜が見られます。
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 この建物には、約120人の漁夫(ヤン衆)が寝泊まりしていました。ヤン衆は寝棚という3段の板張りで雑魚寝状態でした(左下)。建物内には、各種の漁具や生活用品が展示されています。右下の四角い桶は鰊運搬用です。大中小があるのは、それぞれ男用、女用、子供用だとのことです。
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 漁法は刺し網から建網(たてあみ=現定置網)へと大型に改良され、漁獲量を飛躍的に増やしていきました。建網は、鰊が障害物にあうと沖へ逃げる性質を利用したものです(写真は、建網の模型と漁法の仕組み解説)。
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 左下は、捕れ過ぎて収納し切れない様子を写した写真です。当時の網元の年間漁獲高は今の価格で20億円を超えたというほどですが、資源保護を考慮しない乱獲であったため、鰊が枯渇してしまったのはご承知のとおりです。
 右下は、新聞を賑わせて逝った中川昭一農水大臣(当時)の認定証。
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 2階右側は網元や家族、客人用の部屋です。写真左下の中央やや左、ガラス戸は、隠れ部屋があった部分です。当時は押入れの板壁になっていた部分で、この前に布団を積み上げれば奥に部屋があることが分からなかったといいます。右下は、隠れ部屋の存在理由を説明してくれた観光タクシーのMさん。
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画像 写真右は、祝津港前にある民宿青塚食堂ですが、鰊の炭火焼が美味しそうでした。
 次は、もう一つの鰊御殿「旧青山別邸」に向かいます。

 。。。 続く。

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