江戸川の堤防を後にした一行は、旧水戸街道に戻り、松戸駅方面に戻る。講座の1回目が豪雨だったため、回りきれなかったところを見るためだ。
松戸郵便局の手前を右折し、坂川を渡ると正面に松龍寺の山門が見える。山門の扉などに葵の御紋が残っているとのこと。これは徳川将軍のお鹿狩りの際の休憩所だったり、12代(だったかな?)将軍の御領地となった時期があったからだそうだ。
坂川沿いに進むと松戸神社がある。寛永3年(1626)の創建で、当時は御嶽社とか御嶽大権現と言われていた(松戸神社と改称したのは明治15年)。御際神は日本武尊で、当時から松戸の総鎮守とされている。
拝殿は文久3年(1863)に再建されたもので、壁面に弓矢が掲げられている。これは、水戸光國が弓矢を納めたという故事にちなんだもの。
水戸街道に面した一の鳥居の根本に「水準点」の石が置かれているが、今は利用されていないとのこと。


松戸神社を出て旧水戸街道を渡ったあたりに松戸宿の本陣があった。慶応3年(1867)の火災後に再建された家が現存していたが、3年前に取り壊され、ロータリークラブ寄贈の石碑があるのみ(下左)。本陣の玄関にあった敷石だけは伊勢丹裏の坂川沿いの柳の根本に現存する(下右・春雨橋から写す)。


春雨橋を渡り、すぐの左側に梅牛山寶光院がある。北辰一刀流で有名な千葉周作は気仙沼から父と共に江戸に向かう途中、なぜか松戸に住み着いた。その頃の剣道の師匠が浅利又七郎で、その供養碑がこの寺の墓地にある(左下)。又七郎の道場は寶光院と隣の善照寺の間辺りにあった。千葉周作の父親(幸右衛門・後に裏山寿貞と称す)の墓も寶光院の墓地に現存する(右下)。


善照寺の境内を通って、旧水戸街道を渡り、12:40に解散。次回の講座は9月26日だ。
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たべすぎたろう
長さん
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