先輩のHさん、安らかにお眠りください

JALの職場の先輩であり、労働組合運動の先輩だったHさんの訃報を聞いた。69歳であった。
Hさんは中央執行委員時代の1964年、高い労働条件を獲得する実績を作った日航労組を嫌悪する会社の労組役員弾圧政策と闘い、翌年の労組分裂後は支部役員になったものの、激しい会社の攻撃(昇給や昇格差別、仕事の干し上げなど)を受け続けた。
特に、東京支店支部書記長時代は、一人だけ隔離された旅客案内カウンターでさらし者にされた。山崎豊子著「沈まぬ太陽」の主人公のモデルとなった小倉元中央執行委員長が海外へ不当配転された直後のことである。
温厚なHさんはそうした攻撃に歯を食いしばって耐えた。後年、Hさんは「殺したいやつが二人いる」とつぶやいたことがあるが、会社攻撃の非人間性が伺い知れよう。思えば、その頃から胃をやられていたのだろう。
70年代後半のある年、小生も参加した労組支部委員会の合宿で内房海岸にHさんも自ら車を運転して出かけた。その際は、Dさんと砂浜で100m競争するほど元気だったが、自宅に帰り着いた夜、胃から大量に吐血し、緊急手術を受けた。その際の大量輸血が原因で血清肝炎となった。これがHさんの寿命を縮めたに違いない。
Hさん、安らかにお眠りください。合掌。

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